地下都市チルドレンワンドロ『肝試し』で書いた、さんヒロ小説です。


***


 晴れやかな日差しが差し込むリビングで、
彼はもうおやつの時刻をとっくに過ぎたというのに、
まだダラダラとスナック菓子を食べながらテレビを見ていた。
「ヒロ君! いつまでお菓子食べてダラダラしてるの!」
私が少し大きめな声で呼びかけると、水色の髪の毛が
ふわっと揺れて、グレーの瞳がこちらを向いた。

 「え〜、まだ出かけるまで時間あるでしょ?」
ゆったりとしたルームウェアのままの姿のヒロ君が、
口を尖らせて不満そうな声をあげる。
「今日は大事なイベントなんだから、早めはやめに
出かける準備しなきゃ駄目でしょ!」
私が一喝し着替えを投げると、
ようやく彼も重い腰をあげざるを得ない、と認識してくれたようで、
しぶしぶと着替えのTシャツとハーフパンツを手に取ってくれた。

 「でもさんちゃんも、本当イベント好きだよねぇ。
この暑いのに肝試し行きたいだなんて……」
そう言って、彼はまだ不満げな顔をしている。
「いいでしょ別に! いつも休みの日は家で
ゴロゴロしてるんだから、たまには出かけたって!
そんなに出かけたくないの?」
私がまた少し気持ちボリュームが上がってしまった声で言うと、
「別に、出かけたくないとは言ってないって……」
と、少し困った顔でヒロ君が着替え始める。

 その瞬間、顔がボッと熱くなったのが自分でも分かった。
「ちょ、ちょっと! ちゃんと洗面所で着替えて!!」
「へ?なんで?」
「なんでも!!!」
そんなやり取りをしてヒロ君を半ば無理矢理洗面所に押し込めると、
思わずふぅ、と溜め息が出た。

 今日、肝試しがあるこの日に、私はあることを決意していた。

 ──彼と番を解消したいということを、彼に伝える決意を。


 『肝試し』


 私の名前は「さん」
両親が私が産まれたときに、私の明るめのオレンジの髪の色を見て、
「この綺麗な髪の色のように、明るく太陽みたいな子に育ってほしい」という
願いを込めてつけてくれた名前だ。
私自身もこの名前が気に入っていて、皆が「さんちゃん」と呼んでくれると、
なんだか自分がお日様にでもなれたかのような、明るい気分にさせてくれた。
特に、私の一番大好きな人に呼ばれたときの喜びは、ひとしおだった。
彼は私と半年前に番になってから、いつも私のことを
「さんちゃん」と、皆が呼ぶように呼んでくれた。

 でも、いつからか彼が私のことを呼ぶたびに、
いや、私に対して優しく接してくれる度に、胸がきしむように痛くなった。
彼には私じゃない、本当に好きな人がいると気付いたあの日から。
相手は、ヒロ君からの昔の親友で、町はずれの保育園で働いてる、
私より一つだけ年下の女の子らしい。
町で偶然ヒロ君と一緒に歩いているときに会ったことがあるけれど、
茶色の髪に茶色の瞳の、帽子をかぶっていて少しうつむき加減で喋る、
私とはまったく正反対の女の子だった。

 その子を見るヒロ君の目を見たときに、気づいてしまった。
ヒロ君は、私じゃなく、この女の子のことが好きなんだ、と。

 最初は認めたくなくて、自分が番で奥さんなんだから
堂々とヒロ君の隣で、ヒロ君が今は私のことが好きじゃなくても、
徐々に好きになっていってもらえればいいと思っていた。
でも、その想いとは裏腹に、ヒロ君との心の距離はどんどん開いていった。

 私のことを見ていてくれているけれど、心では別の人のことを考えてる。
それが辛くてつらくて、今日この肝試しというイベントを最後の記念にして、彼と別れよう。
そう心に決めていた。

 「うわ〜、けっこう本格的だね……」
隣からヒロ君の声がして、はっと今自分が催し物のイベント会場に辿りついたことに気付く。
ヒロ君と二人で会場まで歩いていた間、ずっと私は想いふけっていたようだ。
私より背の低いヒロ君が、少し背伸びをしながら会場の様子をうかがっている。
こんな光景を見るのも今日で最後かと思うと、やっぱり胸が痛む。
「ヒロ君、怖いからって私の後ろをついてくるとか、なしだからね!」
私が眉をあげて言うと、彼は笑ってこう返した。
「さすがにそれはしないよ。男は女の子を守るのが当たり前なんだから。」

 その笑顔が。
少し困ったように笑いながら出したその声が。
私の胸をまたしても締め付ける。

 そして、いつもの異変が私の中で起き始めた。
軽い眩暈。視界がぼやけて、歪んでいく。
これはまずい、と頭の中で警鐘が鳴る。
眩暈だけで終わってくれればいいのに、と願わずにいられない。

 私のサイコセルの症状、それは眩暈と感情の起伏が激しくなること。
頻度自体は低いものの、感情を抑えられなくなると
怒り出して相手を怒鳴りつけてしまったり、
泣き出して自分の本音がボロボロとこぼれてしまったり、
鬱状態になって誰に何を言われても暗い思考しができなくなってしまったり。

 最悪だ、こんな大事な日に……。
そう思った瞬間、私の目からぽろぽろと涙が頬に伝い始めた。
ここまでくると、もう抑えられない。
「ヒロ君ごめん、私、目にゴミが入っちゃったみたいで……」
私が一生懸命手で顔を隠しながら言うと、ヒロ君は全てを察してくれたようだった。
「そっか……ゴミはすぐ取らないと!
  ほら、手でこすっちゃ駄目だから、トイレで顔洗ってきなよ。」
そう言って、トイレがある方向へと指を指す彼。

 その優しさが辛くて、でもやっぱり、嬉しくもあって。
複雑なぐちゃぐちゃした感情が、私の中でないまぜになる。

 怒って怒鳴ってしまったとき、困り果てていたのに笑って最後にはいつも許してくれた。
涙が止まらなくて辛いときに、ずっと隣で励ましてくれた。
どんなに落ち込んでても、傍で見守ってくれた。

 そんな今までの優しかったヒロ君が、脳内を駆け巡って流れていく。
やっぱり、別れたくない。
一日、いや、半日、いや、一時間でも一緒にいたい。
そんな想いで胸がいっぱいになってしまう。

 「ヒロ君……」
「ん? なに? 手引っ張って連れていっあげようか?」
私が呼びかけると、彼が優しく答えてくれた。
いつもヒロ君は、私が辛いときに手を繋いでくれる習慣があった。

   「うん、ちょっとだけでいいから……頼んでもいい?と、トイレまででいいから!」
「分かった、ほら、行こう。」
そんなやり取りをして、彼が私の手を繋いでくれた。

 優しい手。あたたかくて、私と対して変わらない大きさで、
でも少し骨ばっててやっぱり男の子らしい手。
そして実感させられる。
あぁ、やっぱり私、この人が好きだ。
狡くても、正しくなくても、この人の傍にいたい。

 そうして私は、結局この人の手を離さずにいる。
肝試しで試される前の段階で、私は自分の心を試されていたんだ。

 そして私は、今日も引き延ばしてしまう。
この人と一緒にいる時間を。

 「ヒロ君……大好きだよ」
彼に聞こえないくらいの、私にしては珍しい小声で呟く。
もちろん、隣の彼には届いていない。
私の声も、きっと心も。

 それでも私は、この手を離すことができない。